2020年02月22日

小説『決心』


「この、とこぶし美味しいですね」
「本当。煮付けも良い味しているし」
「ありがとうございます」
 割烹沢むら≠フカウンターの席には、三人の女性客が座っていた。一人は小島美央。若く見えるが三十三歳になる美央は、優雅な独身生活を満喫していた。今夜は同じ独身女性である、ひとつ年下の友人である岸川朋世と真中布由美を誘って食事に来ていた。
「ラーメン食べませんか?」不意に沢むら≠フ主人が聞いてきた。
「ラーメンなんかあるんですか」
「いつもじゃないけど、裏メニューであるんですよ」
「布由美ちゃん、どうする?」ラーメン好きの布由美が断るはずがないと思いながら、美央が聞いてみる。
「えー、食べてみたいけど」ダイエットでもしているのか、ことの外反応が鈍かった。
「ひとつを、三人で分ける?」と、朋世が助け舟を出した。
「大丈夫ですよ。少なめに作りますから」
 ラーメンはとても上品な味で、この街のどこの専門店よりも美味しく感じた。どの料理もいちいち気が利いているし、主人もさっぱりして良い感じだし、美央は初めて訪れた沢むら≠ノ満足した。
 本人ははっきりと言わないけれど、どうやら朋世と沢むら≠フ主人は付き合っているらしい。そういえば先日、よく行くショットバーのムーンリヴァー≠ナ布由美に偶然会い彼氏を紹介された。ちょっと無愛想だった南村君。まあ、あの店はマスターがちょっと変わっているから緊張していたのかもしれない。実直そうで根は優しい感じの人だった。



 美央は父親が何店か経営する、ブティックのうちの一軒を任されていた。今のところ経営成績の方は、順調に推移している。プライベートでも外食に買い物、読書や映画鑑賞、また料理を作ったり習い事をしたりと、忙しいなかにも充実した日々を過ごしている。
 就寝前に手帳の明日の予定欄を見てみると、ムーンリヴァーでパーティーと書いてあった。少し考えて、半年くらい前に合コンで知り合った哲夫に誘われていたことを思い出した。ずっと一人でしゃべっているような男だけれど、悪い人間ではない。もし行かなかったら、また後でうるさいだ
ろうと考えると少し楽しい気分になった。



 翌日、仕事を終えた美央はムーンリヴァー≠ノ向かった。キヨちゃんと呼ばれているマスターは少し変人だが、なぜか美央は好かれていた。まあ、悪い気はしない。ドアを開けて部屋に入ると、もう結構な人数が集まっていた。どうやら哲夫が税理士に合格したのを祝うパーティーらしい。
税理士資格って結構難しいって聞いているけど、哲夫が受かるなんて少し意外。会計事務所に勤めてるとは言っていたけど。いつも派手な服を着てぺらぺらとしゃべってて、遅くまで飲んでるって印象だったけどいったいいつ勉強していたのか不思議だった。
 主役の哲夫を探してみると、やっぱりいつものように調子良くしゃべっている。スチュワーデスって元々の意味は、豚小屋の番人なんだってとか、ギョウザはないけどスブタという植物はあるんだよとか、いろいろ。
「やあ」声がしたので振り返ると、プログラマーをしている岳史だった。
「岳史君って、哲夫君と知り合いだった?」
「何回かこの店で会ううちに話すようになって。テニスも一緒にさせてもらっているし」
「岳史君、テニスするの?」
「大学の時同好会に入ってたんだよ。行ってなかったっけ」
 名古屋の国立大学を卒業したっていうのは知っているけれど、それは聞いていなかった。
 岳史とも哲夫と同じように、半年くらい前に合コンで知り合った。わりと気が合い、何度となく二人で食事をしたりもしている。休みが合わないので、今のところ夜の時間にしか会ってはいないけれど。職業柄パソコンに詳しいのは当たり前だろうけれど、二人で飲みに行くショットバードラゴンフライ≠フマスターとはゲームの話ばかりしているし、てっきりオタク系だと思っていた。聞けばテニスもするし、休みの日にはプールに行ったり、バイクに乗ったりもするらしい。そういえば贅肉はなさそうだ。
「美央ちゃん、来てくれたんだ」哲夫が満面の笑みを浮かべて近づいて来た。
「哲夫君おめでとう。すごいじゃない」
「たまたまだよ。そうそう、このパーティー、岳史が段取りしてくれたんだよ」
「たいした手間じゃないし、何かしたかったからさ」
 面倒臭いことはしないタイプだと思っていたけれど、美央は岳史の意外な一面を見たような気がした。
 しばらくして哲夫がマイクを持ち、集まった人達にお礼の挨拶をした後、この場を借りて皆さんに発表したい事があります、と言い出した。
「実はこの度、結婚することにしました。相手はこちらにいる江口萌美さんです」
 美央は少しびっくりした。その相手が高校時代からの親友だったからだ。5日くらい前に電話で話した時は、何も言っていなかった。昔から大事なことは、話さないタイプだった。美央は萌美に後ろから近づいて行き、声をかけた。
「アンタ、びっくりさせないでよ」驚いた顔で萌美が振り向いた。
「あれ、美央。どうしたの?」
「どうしたって、哲夫君に誘われたのよ」
「そう。哲夫君と知り合いだったんだ」
「ちょっとだけね」
「急にこんなことになっちゃって」
「良かったじゃない。優しそうだし」
 高校の頃から萌美は明るすぎるくらい、明るかった。あの哲夫と結婚したらどんなに賑やかな家庭になるんだろうと想像すると、すこしおかしかった。
「まあ、この人でいいかと思ってさ」と言いながら笑っている萌美は、とても幸せそうに見えた。



 翌週の休日、店の子に何度も誘われて広島県までスノーボードをしに行くことになった。初めてであまり気乗りはしなかったけれど、スキーはしたことがあるし何とかなるだろうとは思っていた。
 三人で出かけたが、店の子は二人とも二シーズン目で楽しくてたまらない様子。最初のうちは教えてくれていたが、そのうち自分たちだけでどんどん滑り始めた。
 何度も転倒しながら、ようやくコースの真ん中辺りまできた美央は疲れて雪の上に座り込んだ。男が近づいて来て、声をかけて来たのでナンパかと思いながら顔を上げると岳史だった。
「やっぱり美央ちゃんだ」
 話を聞くと、代休で大学時代の友人達とスノーボードにきたらしい。
「ものすごい偶然だね」理系の岳史が、少し興奮したように言った。美央はいつだったか哲夫が、偶然はない、全ては必然だと言っていたのを思い出した。
 美央達と岳史達は合流して、昼食をとった。岳史に午後からコーチすると言われたが、何とか一人で滑りますからと辞退した。それでも岳史はついて来て、基本から丁寧に教えてくれた。帰る頃にはターンしながら、転倒せずに降りてこれるようになった。
 すごい上達ぶりだと、岳史に感心された。当たり前でしょう、私は何でもできるのよとは答えずに、コーチの教え方が上手だからと言っておいた。
 それから岳史とは、これまで以上に頻繁に二人で会うようになった。


 岳史にプロポーズされた夜、部屋に帰ると哲夫と萌美の結婚披露パーティーの招待状が届いていた。美央ももうすぐ三十四歳になる。今夜もこの街の繁華街の片隅に、キヨちゃんのお姉言葉が響いているだろう。近いうちに名字が変わった私が、キヨちゃんの店に行くかもしれない。それでも状況がどう変わろうと、私の本質は何も変わらない。岳史と結婚するかどうか決めるのは、私だし、とにかく今を楽しもう。これまでどおり。



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2020年02月21日

小説『明日の風』

「ちょっと、あんた達。女だけで来ないでよ」
「いいじゃない、別に」
キヨちゃんの店に三人の女性客が現れ、店内はとたんに華やかになった。
「それで、なに飲むの?」
「わたし、カンパリソーダ」
「マダムロシャスにしようかな」
「えーと、わたしは」
「面倒臭いわね。同じものにしなさいよ」
「じゃあ、マダムロシャスで」
「冗談よ。可愛いわねえ」
 三人組の女性の一人は小鳥美央。独身の三十三歳だが、その美貌から
二十代前半に見られることも多かった。今夜は一つ年下の女友達である
岸川朋世と、真中布由美と飲みに出ていた。
朋世は、はっと人目を引くというタイプではないが清楚な美人で。その
点では美央と対照的ともいえる。その大きな瞳と、透き通るほどの白い
肌の魅力に抗える男は少ないだろう。布由美は美人というよりは、どち
らかといえば可愛いタイプかもしれない。その子猫のような愛くるしさ
は、ある意味では最も男に好かれる女性だといえる。
「あんた達、結構見た目はいけてるように見えるけど、男の一人もいな
いの?もしかして、性格に問題があるんじゃないの?」
キヨちゃんの言葉に、三人は笑った。
「美央。あんた、理系の彼とはどうなってるのよ?」
「岳史のこと?ときどきは会ってるけど」
「いいなあ、プログラマーかあ」布由美が呟く。
三人とキヨちゃんは罪のないおしゃべりをして、楽しいひとときを過ご
した。




翌日の金曜日は、美央の仕事が休みの日だった。十二年間務めていた会
社を退職し、求職中の布由美を誘い映画を観に行った。前評判ほど面白
い作品ではなく、二人は少しがっかりして映画館を出た。
「あら、あんた達も映画館に来てたの?」突然の大きな声に驚いて振り
向くとキヨちゃんだった。
「つまらない映画だったでしょ」
「あまり面白くはなかったね」
「あたしのマンション、すぐ近くなんだけど、良かったらお茶でも飲ん
でいかない?」
「いいの?」
「いいわよ。何もないけど、どうぞ」
 キヨちゃんの住むマンションは、映画館から三十メートルくらい離れ
たところにある五階建ての建物だった。

「さあ、入って、入って。すぐにコーヒー淹れるわね」
 男の一人暮らしとは思えないくらい部屋の中は見事に整理され、床も
塵ひとつないくらい磨き上げられていた。
「綺麗にしてますね」布由美が感心する。
「物がないだけよ」と答えながら、キヨちゃんは慣れた手つきでコーヒー
を沸かしていた。
「あんた達、クッキーでも食べる?」
「いらない」
「そう。さあ、コーヒー入ったわよ」
 壁にかけられた一枚の絵が、美央の目に止まった。全裸の女性がベッド
に寝そべっている絵だった。
「キヨちゃん、その絵」
「ああ、これ。わたしが描いたのよ」
「ふーん。キヨちゃんも女の人の裸に興味があるんだ」
「綺麗じゃないの。どう?このコーヒー」
おいしいと美央は答えたが、大人の味と布由美は少し顔をしかめている。
「クッキー食べなさいよ。おいしいから」
「はーい」布由美がクッキーに手を伸ばす。
 しばらく歓談した後、二人はキヨちゃんに礼を言ってマンションをあとにした。




「ねえ、キヨちゃんっているじゃない」
「あの、ムーンリヴァーのマスターの」
「そうそう」
 美央はその夜、馴染みのショットバーのドラゴンフライに来ていた。
「あの人って何歳なの?」
「あの人まだ若かろ。四十歳くらいじゃない」
「ふーん、全然わからないわねえ」
「まあ、変わった人だから。昔はジャズピアノを弾いていたらしいよ」
「そうなの。あ、そろそろお勘定してくれる」
「えっ、まだ早いんじゃないの」
「ちょっとね」
 美央はこの後、岳史とキヨちゃんの店で待ち合わせしていた。店に着
いたが、仕事が終わる時間がはっきりしないと言っていた岳史は、まだ
来ていなかった。
「あら、いらっしゃい。一人?」
「昼間は、どうも」
「あ、美央ちゃん」
 声の主は、会計事務所に勤めている顔見知りの哲夫だった。しばらく
して朋世も友達を連れて現れ、店内はかなり賑やかになった。哲夫は朋
世をつかまえて、サイモン&ガーファンクルの昔の名前はトム&ジェリ
ーだったんだってとかなんとか、一生懸命話かけている。相変わらず調
子が良いわねえと、美央は笑って見ていた。
「そう、朋世ちゃんは白馬の王子を待ってるんだ」
「そういうわけじゃないけど」
「白馬って芦毛の馬が、年老いたら成るんだよ」
 そんなこと聞いてないわよ哲夫君と、美央が心の中でつぶやいた頃に
岳史が現れた。 
「ごめん、仕事が長引いちゃって」
「全然大丈夫。ここにいたら、退屈しないし」
「キヨちゃん。ちょっと出てくるから」
「あら、ちゃんと帰ってきてよ」
「もちろん」
 岳史と美央はムーンリヴァーを出て、近くのイタリア料理店に入った。
「美央ちゃん、聞いてる?」
「えっ。ああ、ごめんなさい。キヨちゃんの店が賑やかだったんで、少
しぼうっとしちゃって」
「ハハハ。じゃあ、もうしばらくして、客が減って頃に戻ろうか」
「そうね」
 岳史とは二ヶ月くらい前の合コンで知り合い、なかなか感じが良かっ
たので何回か二人で会っている。話をしていても面白いし、別にパソコ
ンオタクでもゲームオタクでも良いのだが、いまひとつ乗り切れない自
分を感じていた。


 美央は父親の経営するブティックの一軒を任されていた。休み明けか
ら大阪と東京に出張し、出張から帰った後店はバーゲンセールに突入し
十日ほど忙しく働く日々が続いた。
 ようやく仕事が一段落して日常のペースが戻ったので、久しぶりにキ
ヨちゃんの店に行ってみた。
「あら、久しぶり。一人?」
「ええ」
「カンパリで良い?」
「ビールもらおうかな」
「そういえば、このまえ朋世、男連れて来てたわよ」
「そう」
「ほら、最近和食の店ができたでしょ」
「沢むら、かしら」
「そうそう、それ。そこのオーナー兼料理人だって」
「へー。あそこ美味しいらしいじゃない。まだ行っていないけど」
「けっこう男前だったわよ。まだ三十六歳だって」
「そうなんだ」
「付き合ってるのって聞いたら、そんなんじゃありませんと言っていた
けど。それから布由美も」
「えっ、布由美ちゃんも」
「背の高い男と二人で来てたわよ」
「そう」
「ミナミムラ電機とかって、電気工事の会社の跡取りだって。二人とも
なかなかやるわね」
 あの子達、私には何も言わずに。まあ、良いけど。最近忙しかったか
ら連絡も取り合っていないし。
「ねえ、キヨちゃん。わたし次の水曜木曜と連休なんだけど、布由美も
誘って三人でどこか行かない?水曜日、定休日でしょ」
「何でわたしがアンタと行くのよ」
「別に嫌ならいいけど」
「嫌じゃないわよ。で、どこに行くのよ」
「それはまだ、決めていないけど」
「わたしはあんたとこの店で随分買い物してるんだから、もちろん接待
でしょうね」
「わたしだって、いつもこの店に来てるじゃないの。割り勘よ」
「そう。仕方ないわねえ」
 美央はキヨちゃんと小旅行の約束をして、なぜか心が浮き浮きするの
を感じた。


 約束の朝、キヨちゃんの住むマンションの前に着き電話をかけた。
「おはようございます。今、マンションの下に着きましたから」
「えっ、もう着いたの?」
「もうって、九時に来るって言ったじゃない」
「そうだっったかしら。もう、お化粧する暇もありゃしないんだから」
「お化粧だったら、車でしたらいいじゃない」
「冗談よ。昼間から化粧なんかしないわよ」
 しばらくして、キヨちゃんがマンションの出入り口から現れた。白い
Tシャツに黒のスリムジーンズという装いで、アクセサリも両耳のピア
スだけだった。いつもと違い、男らしく見える。キヨちゃんが美央の紺
色のアウディに近づいてくる。
「キヨちゃんちゃんて、けっこう格好良いよね」美央が小声で助手席の
布由美に話し掛けた。
「おはようございます」布由美は朝から元気だった。
「おはよう」キヨちゃんが車の後部座席に乗り込んできた。
「いい車に乗ってるじゃないの」
「唯一の贅沢ですから」美央が澄まして答える。
「ふん。で、どこ行くの?」
「小豆島だそうです」布由美が代わりに答えた。
「帰りに讃岐うどんでも、食べて帰ったらどうかと思って」
「小豆島って、何かあるの?」
「わからないけど、何もないから良いってこともあるでしょう」
「あんた、上手いこと言うわね。それじゃあ、出発」キヨちゃんも少し
嬉しそうに見えた。
 天候にも恵まれ、気持ちの良いドライブだった。キヨちゃんは何の曲
かはわからないが、ずっと上機嫌で鼻歌を歌っている。
「キヨちゃんて、つくづく男顔よね」
「おだまり。ほんと、嫌な子ね」
 予約していた小豆島のホテルに到着した。
「あら、部屋は別々なの」
「当たり前でしょう」
「もったいないわねえ。何もしやしないわよ」
「ねえ、食事に行きませんか?わたし少しお腹がすいてきちゃった」
 布由美の提案で、三人はホテルの近くの居酒屋で夕食をすませてホ
テルのバーに立ち寄った。
「キヨちゃん、昔ピアノ弾いていたって本当?」
「誰に聞いたの?」
「ドラコンフライのマスターが言ってた」
「えー、すごーい」布由美は少し酔っているようだった。
「もう、あいつはおしゃべりね。わたし、音楽の学校に行っていたか
ら。しばらく弾いていたけど才能がないからやめたの。さあ、これで
この話はおしまい」
「ピアノとか絵とか、キヨちゃんて多才じゃない」
「あ、そうだ。美央、今度あんた描かせてよ」
「脱ぐの?」
「誰があんたの裸なんかみたいもんですか」
「失礼ね」
「あんたのちょっと疲れているように見えるところとか、そういうと
ころを描いてみたいのよ」
「何よ、それ。じゃあ、今度時間が取れる時に」
「約束よ」
 ホテルの部屋の前で三人はそれぞれおやすみなさいを言い合い、キヨ
ちゃんは自分の部屋に入り、美央達も向かいの二人部屋に入った。夜に
見るキヨちゃんは、いつものキヨちゃんに戻っているように見えた。躰
をベッドの上で思い切り伸ばしながら、美央は自分が凄く元気になって
いることに気付いた。
 シャワーを浴びながら、ふと考える。もしかしてキヨちゃんと付き合
うことになったりして。その想像に少し胸がどきどきした。今夜は良い
気分のままグッスリ眠ろう。明日のことは、また、明日考えるわ。



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2020年02月18日

小説『贈り物』

彼女の二重の大きな目で見つめられると、男たちは少したじろいでしまう。
冷たい印象を受ける人もいるが、聡明で本当は優しい女性だった。
「美央ちゃん」彼女が行きつけのショットバーでカンパリソーダを飲んでいると。
後ろから声をかけられた。振り返ってみると、先週合コンしたメンバーの一人で、
会計事務所で働いているという男だった。
「独り?」
「そうだけど」
「隣。良いかな?」
「どうぞ」
「友達と待ち合わせしているんだけど、まだ来ていないみたいだなあ。あっ、髪
型変えたんだ」
「わかるの?」
「わかるよ。すごく良いね」
「そう」
「良いよ。ミシシッピ河のワニが全員、飛行機で見に来るくらい良いよ」
「ありがとう」そう返事しながら、美女はカクテルを飲み干した。
「マスター、お勘定してくれる」
「えー。もう帰るの」
「明日早いから。おやすみなさい」
「おやすみ」


 小島美央は独りで住んでいる部屋に帰ってきて、ゆっくりとシャワーを浴びた
あと、テレビを見た。読みかけだった本があることを思い出し、テレビを消し読
み始める。知らぬ間に夢中になってしまい、ふと我にかえり枕元の時計を見ると
針は午前二時をさしていた。もう眠らないと明日の仕事に差し支える。美央は父
親が経営するブティックの一軒を任されていた。その店もなかなかの業績を上げ
ている。三十三歳になった彼女は、周りから独身主義者だと思われていたが、た
だ自分に正直に心から愛せる人を待ち続けているだけだった。



 週末にまたコンパがあった。五対五のコンパで、その中に一人気になる男性が
いた。特に美形というわけではないが、話す内容が興味深く、話し方自体も柔ら
かく好感が持てた。名古屋の国立大学の工学部を卒業し、今はプログラマーをし
ているという。わりと盛り上がった合コンで、二次会、三次会と流れていきやっ
とお開きになった。
「面白い店があるんだけど、良かったら一緒に行きませんか?」
「じゃあ。もう少しだけ」
その男性が連れて行ってくれた店は、彼女にも馴染みの店だった。
「あーら、お久しぶり」マスターのキヨちゃんに、その男性は抱擁をもって迎え
られた。キヨちゃんは一緒にいた美央に気付き、二人は知り合いだったの、とお
おげさに驚いて見せる。二人は照れ笑いを浮かべながら、カウンターの椅子に並
んで腰掛けた。
 なるべく話さないでおこうと思っていた美央だったが、きよちゃんが絶妙のタ
イミングでいれる茶々と、酔いのせいで饒舌になっていた。
宇宙のことから植物のこと、男と女のことまで三人は夜が明ける頃まで語り合っ
た。
「ありがとう。今夜は本当に楽しかったよ」
「こちらこそ。ごちそうさまでした」
今夜は少し喋りすぎたかなあとも思ったが、楽しかったから良いかと、思い直し
た。



 翌日、仕事を終えた美央は、またキヨちゃんの店に行った。
「昨日はどうも」美央がカウンターに座ろうとすると、キヨちゃんが顎で店の
奥の方を促した。美央がそっと見てみると、二年前まで付き合っていた男が、
どう見ても一回り近く歳の離れている女性と二人で酒を飲んでいた。大きな鉄
工所の二代目で気のいい男だった。三年余り付き合ったが、特に大きな喧嘩を
したわけでもなく、段々と疎遠になっていった。別に顔を合わせて気まずいわ
けでもないが、何となく面倒くさい。しばらくしたらそっと出ようと静かに飲
んでいたが、手洗いからの帰って来た男に見つかってしまった。
「よう、久しぶり」
「お久しぶり。元気だった」
「ああ。それにしてもお前、良い女になったなあ」
「何言ってんのよ。彼女独りにして大丈夫なの」男はそれに答えず、美央の隣
の椅子に腰かけた。
「昔は何かこう、冷たい感じだったけど、今は少し柔らかい感じがするよ」
「そんなに変わらないでしょう」
「お前に笑ってもらいたくて、いろんなことしたんだけどな」
「誰だって、面白くないと笑わないわよ」
「男にとって女の笑顔は、一番の贈り物なんだぜ」
悪い人ではないんだけど、相変わらず少しうざいわねなどと考えていると、奥
のテーブルから、ねえ、なにしてんのよ、と少し甘えた声がして、男は、じゃ
あまたなと言って、テーブルに戻っていった。



 ある夜女友達と軽く夕食をも共にしたあと、独りでショットバーで飲んでい
ると、また会計事務所で働いている男が現れた。
「美央ちゃん、この店よく来るんだ」
「ときどきね」
「マスター、俺XYG」そう言いながら断りもなくミオの隣に座り、マシンガン
のように喋り始める。
「ミミズには目がないって知ってる」とか「ウンコはウンといってするからウ
ンコって言うんだって」とかいろいろ。あまりもの馬鹿馬鹿しさに美央も少し
笑う。
「君が笑うと、まるで大輪の薔薇が咲いたようだよ」男が気取った口調で言っ
た。もうそろそろ店を出ようと思いながら、美央は先日前のカレシが言ってい
た笑顔のことを思い出した。
その時、携帯電話にメールが来た。理系のプログラマーからだった。
「キヨちゃんの店で飲んでいます。良かったら来ませんか?」








posted by わたべ とよひこ at 19:07| Comment(0) | オリジナル小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月16日

小説『私の空』

『私の空』
平成10年、夏。 布由美はオレンジ色の髪を海からの風になびかせながら、黒のTシャツに黒のジーンズといういでたちで砂浜に立っていた。一見するとパンクロッカーに見えたかもしれない。その手には鎖まで握り締められていたのだから。実はその鎖は愛犬の首輪につないでいるものだった。散歩用の紐は買ってあるのだが、紐だと愛犬が噛んで仕方ないので、やむなく鎖にしている。今は日課である愛犬との朝の散歩の途中だった。布由美は名前を「空」という愛犬を非常に可愛がっていた。この世界にこんなにも愛しい存在があることが、不思議でたまらなくもあり、その事だけで神様を信じられるくらいだった。
お気に入りの散歩コースである海岸を一人と一匹でのんびりと歩いていた。何かを見つけたらしく、突然に空が走り始める。あまりもの勢いに、鎖が手から離れてしまった。
どうしたのよ、急に。と思いながら追いかけると、三十メートル位離れた所に男が座っていた。空はその男の前に座り、砂を箒ではくように尻尾をふっている。
「ごめんなさい。」
 と言いながら近づいていく。
「これ、君の犬?」
 その男が聞いてきた。
「今、竹輪やったんだけど良かったかなあ?」
「別に良いですけど。何をしているんですか?」
「ああ、今日昼ぐらいから、仲間とバーベキューをやるんで場所取りをしてるんだ。」
「そうなんですか。」
そういえば今日は日曜日だったなと思いながら改めて男に目をやると広げられたブルーシートの隅に座っていた。白のTシャツに赤の短パンでビーチサンダルを履いている。空が男に妙になつくので、彼女もその場にしゃがみこんだ。
「俺、南村喜信。」
男は細かくちぎった竹輪を空中に放り投げながら言う。空は上手にキャッチして竹輪を飲み込んだ。
「私、布由美です。」
「よく、ここ散歩してるの?」
「まあ、二日に一回くらいかなあ?」
「ふうん。一本飲む?」
男は缶ビールを差し出してきた。
「いえ、結構です。」
布由美も酒が嫌いな方ではなかったが、朝早くから飲む気にはならない。男はすっきりとした顔立ちで、布由美のタイプといえばタイプだった。なかなか感じのいい人だなと思っていると、派手な頭だね、とか布由美自身は吸わなかったが、俺は煙草を吸う女は嫌いなんだとかひっかかることを言う。
「昼からバーベキューするから来ない?女の子が多い方がみんな喜ぶし。」
「いえ、遠慮しときます。」
初めて会った人に誘われて図々しくいけるわけないじゃないのと思いながら断ると、
「そんな格好しているわりに古風なんだなあ。」
 とまた失礼なことを言う。
「それじゃあ失礼します。空、行くわよ。」
布由美は空を呼んで、散歩を続けた。
「おーい。待ってるからなあ。」
 南村が手を振りながら叫んでいる。まだ言ってる。馬鹿じゃないのと思いながら、布由美は南村のことを嫌いにはなれなかった。元々、子供のころから人を憎めない性格だったけれど。家に帰ると父親が庭の植木に水をやっていた。
「ただいま。」
「ああ、お帰り。」
空を犬小屋へつなぎ、水とドッグフードをやる。空は大急ぎで尻尾を振りながら、食べ始めた。その愛らしい姿をながめていると、父親が話しかけてきた。
「布由美、お前いくつになった?」
また、はじまったと思いながら29歳よって答える。
「そうか。それで仕事の方はどうだ?いい仕事はありそうか?」
布由美は二週間ほど前に9年間勤めていた保険会社の事務の仕事を辞めたばかりだった。
「今、探しているところ。」
「まあ、あせらなくてもいいさ。ところで、お前、見合いをする気はないか?」
やっぱりそれが狙いなんだと思いながら、
「考えとく。」
 と答え、いそいで自分の部屋に入った。父は布由美を早く結婚させたくて仕方がないようで、機会があるごとに見合いを勧めてくる。
布由美はベッドに座り、長いため息をついた。布由美は三十歳手前だが、どこか年齢不詳のような雰囲気を漂わせ、二十代前半に間違われることすらあった。
「私は結構もてるんだから。」
 と独り言をつぶやいてみる。最近なぜか妻のいる男性に告白されたり、恋心を抱いていたというほどではなかったが、親しくしていた男性が結婚したりという事が続き少し心が疲れていた。別にそのことが原因で仕事を辞めたわけではなかったが、辞めたついでに気分転換に髪をオレンジに染めてみた。友達の間では好評だったが、両親には良い顔はされなかった。
次の日の朝、空を日課の散歩に連れて行こうとした時、母親が玄関から出てきた。
「布由美、その髪そろそろどうにかしなさいよ」
「わかってるわよ。」
「一体、何歳だと思ってるの。」
ああ、朝からうるさいなあと思いながら、布由美は空を連れて逃げ出した。空と散歩をしている時はいろいろな嫌なことがあっても、全部忘れられる。空には本当はマックスという名前があったが、今では誰も空としか呼ばなくなった。
二年ほど前迷ってきた子犬を、父親が豆柴の子じゃないかと言って飼い始めた。誰も豆柴の子なんか捨てないだろうという周囲の読み通りその子犬はどんどん大きくなり、豆柴はおろか、柴犬より二回りぐらい大きくなった。近所の誰かが、マックスは豆柴というには大きすぎる。空豆柴ですね、と言ったのが家族にうけ、空豆柴のマックスから、今の空という呼び名になった。布由美にはマックスだろうが、空だろうが、あるいは豆柴だろうが、雑種だろうがそんな事はどうでも良かった。ただ空がそばにいてくれさえすれば、それで良かった。
昨日と同じお気に入りの散歩コースを歩いていると、遠くに人影が見える。近づいてみると、昨日の南村だった。南村は、昨日は座っていたので気がつかなかったが、驚くほど背が高かった。百八十センチはゆうに超えているだろう。
「何で昨日来なかったんだよ。」
 と聞いてくるので、
「そんなの、行くわけないでしょう。」
 と答える。
南村は、今日はラブラドールレトリバーを連れている。まだ子犬だった。
「その犬どうしたの?」
「友達にもらったんだ。」
嘘ばっかり、誰がそんな高い犬くれるもんですか。
「触ってもいい?」
 と聞くと
「ああ、いいよ。」
 とそっけなく答える。
「名前、何ていうの?」
「名前、ああ、クロ。」
「クロ。あまりに安易すぎるんじゃないの。」
「じゃあ、お前がつけろよ。」
 なんて言う。
なんでこの人に、お前なんて言われなきゃいけないのよと思いながら、なぜか怒る気になれない。
「家、近くなの?」
 と聞くと、車で来たと言ってすましている。犬の散歩なら、家の近所でするでしょ、普通。
「散歩、途中なんだろ。」
 と言って南村が先に歩き始める。
「クロはどうするの?」
「あっ、忘れてた。」
 と言って急いで引き返してくる。馬鹿な人。クロは空に何度もじゃれつき、その度に空は面倒臭そうに相手している。
南村がしばらくして、口を開いた。
「ねえ、その髪の色、他の色にしたら?」
布由美は海からの心地よい風に、オレンジ色の髪をなびかせながら答えた。
「絶対、嫌だ!」





 それから、火、水、木曜と三日間二人と二匹の早朝の散歩は続いた。木曜日の散歩の途中に南村から、次の日曜日、バーべキューするから来ないかと誘われた。また、この海岸でするらしい。
「空も連れてきていい?」
「もちろん。」
「じゃあ、来ようかな。」
「よし、じゃあメンバーに入れておくから。」
 南村は少し嬉しそうに見えた。
金曜日の朝、布由美はまた空を連れて海岸に言ったが、南村の姿はなかった。土曜日の朝も。
布由美は空に「現金な人ね。」と笑いかけたが、空はじっと布由美の目を見ているだけだった。
散歩から帰ったあと、布由美は母親の小言がうるさいのと、そろそろ本格的に就職活動を始めようと思い美容室に髪を染めに行った。美容師が綺麗に染まっているのにもったいないですねえ、と言う。
「残念だけど仕方ないわ。」
オレンジ色の髪もわずか二十日足らずで終わった。鏡の中の自分がどんどん昔の自分に戻っているようで少し寂しい気がする。
翌日の日曜日、約束していた時間に、空を連れて海岸に行った。今日二度目の散歩。空が南村を見つけて吠えた。南村が大きく手をふっている。
一人で建てたのだろうか、日よけ用のターフが設置され、その横にバーベキュー用のドラムが置かれていた。
「今日は何人くらい来るんですか?」
「何人って?」
「バーベキューに来る人数ですよ。」
「二人だけど。」
「あと二人?」
「いや、俺と布由美ちゃんで二人。」
「えー。」
 騙された。
「オレ、誰か他に来るって言ったっけ?」
「言わなかったかもしれないけど、普通バーベキューを二人でするなんて思わないじゃない。」
「まあまあ。座って、座って。」
南村は嬉しそう。
「それより、いいね。その髪。」
南村が髪のを指差して言う。
「そう。」
「いいよ。全然いいよ。」
南村はひどく上機嫌だった。別にアナタのために染めたんじゃないんですけど。説明しようかと思ったけどあんまり嬉しそうな顔しているのでやめた。男の人って単純だなあ。
「あのー。私何か騙されているような気がするんですけど。」
「俺は嘘ついてないよ。自分が勝手に、大勢来るって思っただけだろう。」
南村はご機嫌。声のトーンがいつもより明るい。
「これ飲みなよ。」
 と言って、缶ビールを渡された。一口飲む。冷たくてとてもおいしかった。
「空、もうすぐ焼けるからな。」
南村がガスに火をつけ、金網の上に肉や野菜を並べはじめると、空はお座りをしてシッポを振っている。
「可愛いなあ。」
不意に言われたので顔を上げると、南村は空の方を見ていた。そりゃそうよね、やっぱり。
「布由美ちゃん。オレ、ひとつだけ嘘ついていることがあるんだ。」
「何ですか?」
「クロのことだよ。」
「クロがどうかしたの?」
「実はうちの犬じゃなくて、友達に借りていただけなんだ。」
「そうなんですか。」
何でそんな事したのと聞くのは、少しかわいそうな気がした。
「さあ、焼けた。」
南村は二枚の皿に肉と野菜を入れ、一つを布由美に渡し、もう一つを空のために砂浜に置いた。自分は肉バサミで直接肉をつかみ、タレをつけて食べている。何てワイルドな食べ方だろう。
「布由美ちゃん、水上バイクに乗らない?」
そういえば海に水上バイクが浮かんでいる。
「あれ、南村君のバイクなの?」
「ああ、去年競馬で大穴を取ったんで買ったんだ。」
「高いんでしょう?」
「まあね。中古艇だけど。さあ、乗ろうよ。」
乗ろうと言われても、そんな事聞いてなかったから、水着も着ていないし。
「でも、濡れるでしょ。水着でもないし。」
「別に泳ぐんじゃないんだから、大丈夫だよ。少しくらいならこの天気だったらすぐに乾くしさあ。」まあ、せっかくだからと乗る事にした。、南村は濡れないと言ったが嘘だった。転覆こそしなかったものの、水しぶきですぐにびしょびしょになった。もう、ずぶ濡れじゃないの。
「今度は布由美ちゃんが運転してみる?」
「私、免許持ってないもん。」
「大丈夫だよ。俺が後ろに乗ってるし、三人乗り用だからなかなか転倒しないし。」
「でも、ちょっと怖いなあ。」
何度も勧められついにハンドルを握る。気持ち良かった。強い風が頬を掠めていき、水しぶきを全身に浴びる。少し走っているうちに余裕がでてきて、海岸に近づくたびに「そら―。」と呼びかけながら手を振った。空はワンワン吠えながら、なぜか八の字を描きながら走り続けている。
エンジンを止めて水上バイクを降りる。空が走ってきたので抱き上げてやった。南村も水上バイクを岸につなぎ、海から上がってきた。空を砂浜におろすと、身体をブルブルと震わせ、毛についた水滴をとばした。
「ああ、面白かった。」
「そう。良かった。もう一本ビールを飲もうよ。」
南村からビールを受け取る。ゴクリとビールが喉元を通り過ぎる快感。いくらでも飲めるような気がした。調子に乗ってそれから何本も飲んでいると、そのうち二人ともいい気分になってきて、今夜また夜の街で再会するという約束ができてしまった。
「じゃあ、ありがとうございました。また、二時間後に。」
「ああ、とりあえず解散。」
座ったまま、南村が手を上げた。空を連れて砂浜を歩く。後片付けは一人で大丈夫だと言っていたが、そういえば水上バイクはどうするんだろうと思い、引き返して聞こうと歩いてきた方向を振り返ると、二つの影が見えた。どうやら、南村が誰か男の人と話しているようだ。そのうち、南村は水上バイクに乗り、布由美がいる方向とは反対の方に走り去って行った。マリーナに向かっているのだろう。布由美は南村が視界から消えるまでずっと海を見ていた。




二時間後、二人はショットバー“ブリッジ”にいた。店の一番奥のテーブルに座り、布由美はビール、南村はバーボンソーダを飲んでいた。
南村君、ずい分焼けたね。などと楽しげに話していると突然若い女が南村の隣に座った。少し酔っているようだった。
「ヨシ君じゃない。久しぶり。」
「ああ、そうだね。アカネ、お前酔ってんだろ。」
そのアカネと呼ばれた女は布由美の方を指差し
「ねえ、この人、今の彼女?」
 と南村に聞く。
「お前には関係ないだろ。」
今度は布由美に向かって
「ねえ、知ってますか?この人、女たらしですよ。」
 と言ってくる。
「そうなんだ。南村君ってもてるんだね。」
「そりゃ、もてるでしょ。背も高いし、結構格好いいし、家も金持ちだし。」
「ふーん。金持ちなんだ。」
「そりゃ、金持ちでしょ。南村電機の社長の息子ですよ。次男だから跡は継がないらしいけれど」
布由美はそんな会社があることも知らなかった。
「もういいから、自分の席に帰れ。」
それでもアカネは居座り続けた。
「でも、南村電機の社長の息子っていうのも知らないんだったら、本当に付き合いが浅いのね。早く別れた方がいいわよ。まだ間に合うかも。」
「いいから帰れ。本当に怒るぞ。」
「あー怖い。殴られる前に帰ろうっと。」
アカネはおおげさに怖がって見せ席を立った。
「あんな娘って本当にいるのね。」
布由美は不思議なくらい落ち着いていた。
「ゴメン。気を悪くした?」
「全然。」
「本当に?」
「本当に。」
「それならいいけど。でも、それも何だか少し寂しいような気もするなあ。」
「そお?」
笑いながら、布由美はグラスに残っていた生ビールを飲み干した。
「ねえ。もう一軒行かない?」
「おっ、いいね。」
南村は素早く立ち上がった。二人は勘定を済ませ外に出た。布由美は割り勘を主張したが、南村は俺に払わせてくれと言って譲らなかった。
「ご馳走様でした。」
「いやいや、それでどこに行く?」
「そうねえ。どこでもいい?」
「ああ、いいよ。」
「じゃあ、近いから“ムーンリヴァー”にしましょう。」
布由美は先に歩き始めた。もう午後九時過ぎだというのにまだ蒸し暑い。さっきまでいた店の冷房が効いていたせいか汗ばむほどだった。“ムーンリヴァー”は“ブリッジ”から歩いて五分くらいのところにあった。ドアを開け中に入るとまだ客はなく、いるのはマスターのキヨちゃんだけだった。この店は明け方まで開いているので、客の出足は遅い。
「あら、布由美。今日は早いじゃない。」
「こんばんは。」
遅れて長身の南村が、少し頭を低くして入ってきた。
「あーら、いらっしゃい。」
キヨちゃんはわざわざカウンターの中から出てきて、いきなり南村に抱きついた。南村は驚いて固くなっている。
「さあどうぞ。こちらに座って。」
二人はカウンター席に案内された。南村には座る時に椅子までひいてくれるというキヨちゃんのサービスぶりだった。おそらくキヨちゃんは南村のことを気に入るだろうと思い連れてきたが案の定であり、内心おかしくてたまらない。
「おい、この店どんな店だよ。」
南村が耳打ちしてくる。
「別に普通の店よ。ちょっとマスターは個性的だけど。」
「ちょっとじゃないだろ。」
「キヨちゃんみたいな人、苦手?」
「得意なわけないだろ。」
キヨちゃんが、カウンターの中から声をかけてくる。
「ちょっと、布由美。彼氏紹介しなさいよ。」
「別に彼氏ってわけじゃ。」
「そんな事どうでもいいから。」
「もう。南村君です。」
「そう。南村君。」
キヨちゃんは南村の顔をなめるようにジロジロと見る。
「南村君。こんな娘のどこがいいの?」
キヨちゃんに聞かれ
「それはその……。」
 と言いながら、南村は耳を赤くしている。布由美は相変わらず生ビール、南村はマンハッタンを注文した。
 入り口の方がにぎやかになったので見てみると、五、六人の男女のグループが店に入ってきた。その中に一人見覚えのある顔があった。
「美央ちゃん。」
小さく手をふる。
「あら、布由美ちゃん。」
その集団は奥のテーブル席に行き、美央だけが二人に近づいてきた。美央は布由美より一つ年上で独身の女性だった。今夜は白いシャツにジーンズというシンプルな格好だったが、そのシンプルさが反って姿形の美しさを引き立てているように見える。
「布由美ちゃん、彼氏?」
「えっ、あー。」
「南村です。」
南村がぎこちなく挨拶した。
「木村です。よろしく。また何かあったらご一緒しましょうね。」
まるで薔薇が咲いたような笑顔を浮かべてから美央はテーブル席に行った。
「綺麗な人でしょう。」
「ちょっと、怖いくらいだなあ。でも俺は苦手なタイプかも。」
「あら、クールそうに見えるけど親切で優しい人よ。」
「まあ、そうなんだろうけど。」
それからも、二人は時の立つのを忘れて飲み続けた。
「私はいいけど、南村君明日仕事なんじゃないの。そろそろ帰らなきゃ。」
「そうだな。」
時計を見るともう午前0時近かった。そんな会話を交わした後も、二人はメールアドレスの交換をしたり、談笑したりして楽しく飲み続けた。いい加減二人が酔っ払った頃には、時計の針は午前一時を廻っていた。帰りは南村がタクシーで送ってくれ、おやすみを言い合い二人は別れた。
 昨夜というか今日になっていたが寝床に就いたのは午前二時頃だったというのに、なぜかいつもと同じ午前六時に目が醒めた。空は散歩が一時間遅れるくらいならおとなしく待っていてくれるが、思い切って立ち上がってみた。飲みすぎと睡眠不足で頭痛がするかと思ったが大丈夫だった。思いの外さわやかな気分で表に出て、空を連れて散歩に出かけた。いつもの海岸に着くと、頭の上から声が聞こえた。
「おはよう。」
見上げると、防波堤の上に南村が座っていた。
「昨日はありがとう。」
「いや、俺の方こそ楽しかったよ。」
南村が防波堤から飛び降りたとたん、空がじゃれついていった。南村がしばらく遊んでやると、今度は仰向けに寝転がり甘えてみせる。南村が胸の辺りをさすると気持ち良さそうに目をつぶっている。
 空がこれだけなつくんだから、この人はきっといい人に違いない。布由美はそう確信した。私の方が単純なのかな。でも私は誰かの言葉より自分の直感の方を信じる。そう決めた。
「もうそろそろ夏も終わりだなあ。」
布由美はつぶやいた。
「えっ、何か言った?」
空と遊んでいた南村が振り返った。
「別に。独り言。」
布由美は先に立って歩き始めた。
二人と一匹は夏の去りかけた早朝の海岸を、一歩一歩砂にかかる圧力を確かめるようにゆっくりと歩き続けた。

posted by わたべ とよひこ at 10:21| Comment(0) | オリジナル小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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